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zoom RSS 神の「体」とは、神の「対象性」のこと

<<   作成日時 : 2013/12/31 23:53   >>

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存在論における「神の体」とは、認識論における「神の対象性」を意味する。バルト神学では「神が御自身を人間の認識の対象として啓示し給うた」と言われ、それが「神の対象性について語りうる唯一の根拠」とされます(〜高尾利数氏の論文「神の対象性について−バルトの神論理解の一試論−」〔『名古屋学院大学論集』5号(1966年)所収〕)。すなわち「啓示」は「神の自己解釈」といわれ、「啓示者、啓示、啓示存在」という「三位一体」は「啓示」の解釈なので、「バルトの三位一体論は《神の自己解釈の解釈》」と言われています。「神は、御自身、客体として立ち現われ給うことにおいて、御自ら、まず、御自身の認識の主体を創造し給うのである」とのバルトの言葉も引用され、神の「自己解釈」によって人間は「神認識の主体」とされたのであり、この主体の生起によって「神の対象性」について論じうるのだと言うのです。「その認識する人間が、神認識の主体である限り、神を、この認識の客体として語ることは必然である」と言われています。この論文の段階ではバルティアン(?)だった高尾氏も後には、「ニカイア・カルケドン信条」成立に至る論争について、《これは本来、実体論的な論理によって解決などできる類いのものではなかったのだ。それを実体論的な論理によって遂行しようとしたから、「わけが分からない」議論に響くのであろう。この論争は、古代のあの時期にのみ一定程度の意義があったものであり、その議論をそのまま現代にまで持ち込んで、あの時代の言語表現のままに無批判に受け入れろと言われても無理なものである。》(『キリスト教を知る事典』〔東京堂出版〕p60)と述べるほどに(そしてこの見解は至極尤もなことですが)変節を遂げています。
なお、バルト神学の「神の対象性」をめぐる解説としては三川栄二氏の論文「『神の対象性』における人間の神認識――カール・バルトにおける神学的思惟構造について――」(明治学院大学キリスト教研究所『紀要』33号〔2001年〕所収)も優れており、「神認識の存在根拠と認識根拠とは、この神の自己対象化の中にある」とのバルトの重要な言葉を引用し、「第一次対象性=三位一体の神の内部での対象性」と「第二次対象性=被造物的対象性で、その第一は神人イエス・キリスト」との区別がきちっと指摘されています(もちろん、この第一と第二の区別は高尾氏の論文でも十分に言及されていますが、三川氏の論文の方がわかりやすいです)。この第一と第二の関係は、私見では滝沢克己氏の言う「不可分・不可同・不可逆」です。
※文中の「ニカイア・カルケドン信条」とは言うまでもなく、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」(381年制定)と「カルケドン信条」(451年制定)。

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