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聖書の御神体
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このブログの主たる目的は、「神は霊」という言葉の誤解により、「神」が得体の知れないものであるかのように思う人々に向けて、聖書に基づき、そうではないことを発信することです。

国木田独歩氏は、「~を忘るゝ時程薄弱なるわれは非ず。」(〜『欺かざるの記』明治26年9月8日)と述べているが、私の場合、「神の実体が不確かな時程薄弱なるわれは非ず。」である。私にとってはキリスト教神学における「神」は得体が知れない。E・ユンゲルの「神の存在は生成においてある」(Gottes Sein int im Werden.)という命題に象徴されるように、特に現代神学の神観はワケがわからない。然るに、信仰の対象である「神」が、そのような得体の知れない存在であると、対神関係者の精神は不安定になり生活に支障をきたすわけで、「神」の実体性の問題は決して観念論的関心にとどまらず、実践的な面でも重要である。

三浦綾子さんは、創世記1:26〜28の解説の中で、「神は自分のかたちに人を創造された」ということの意味として、「神は、体をお持ちにならない方(キリストは『神は霊である』と言われた)であるから、神の体に似ているのではなく、その霊性に似ているというのである。だから人間の肉体から逆に考えて、神を人間のような顔形であると思うのは誤りである。わたしたち人間は、神に似た霊性を与えられたのである。つまり神は人間の霊性の原型なのである。」(〜『旧約聖書入門』の「一 天地創造」)と述べている。「神を人間のような顔形であると思うのは誤り」という見解には賛成。ただし、神はいかなる意味においても「体をお持ちにならない」とは言えない。むしろ「体をお持ちになることができる」ということが「顔」などの人格的メタファーによって示されている。この点が軽視されると「信仰対象の喪失」という深刻な問題が生じることにもなりかねない。

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2015/03/13 20:09
「キリストの体」を抜きして「神の体」はあるのか?

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2014/11/18 03:36
「神」という訳語の問題点

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2014/09/09 19:11
聖書が示す「神」の顔

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2014/02/08 17:32
(神の)名は(神の)体を現わす

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2014/01/01 10:29
(神の)名は(神の)体を現わす U

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2014/01/01 09:58
聖書が示す「神」の対象性と身体性

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2013/12/31 23:59
聖書が示す「神」の対象性と身体性 U

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2013/12/31 23:58
聖書神体論と汎在神論

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2013/12/31 23:57
聖書神体論と汎在神論 U

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2013/12/31 23:56
「実体」の実際的定義

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2013/12/31 23:55
(続) 「キリストの体」を抜きして「神の体」はあるのか?

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2013/12/31 23:54
神の「体」とは、神の「対象性」のこと

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2013/12/31 23:53
聖書が啓示する「神」は、ストーリーテラーである。

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2013/12/31 23:52

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